公栄建設株式会社

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公栄建設の考え

技術史的、社会学的に見た日本住宅の連続と切断

技術史的に見た日本住宅の連続と切断
日本住宅における伝統的な建築構造は木造軸組工法によるものである。
古代の竪穴式住居から始まり高床建物、平地住宅、寝殿造、主殿造、書院造、数寄屋風の書院、その他民家、近代まではそのすべてが木造軸組工法によるものである。
柱を斜めに組んだ竪穴式住居から柱をたてた平地住宅へ、そして床の発生、中世からの天井、建具、畳の普及、丸太柱から加工された柱や梁、仕口継手の発達。
日本独自の高温多湿の気候、地震、台風といった災害に対応した木造軸組工法の進化は、構造的な進化、瓦や畳等建築材料の進化、蚤や鉋等工具の進化等により近代まで連続してきた。
住宅の歴史も技術史的に少なくとも近代までは木造軸組工法の連続した進化の歴史であると言える。
支配階級の住宅も、一般民家も基本的な構造は木造軸組工法である。
当初支配階級の住宅に起こった進化が、時を経て一般民家に採用され普及することの連続でありそこにも連続性がみられる。
基礎、柱、梁、小屋組みといった構造部分はもちろんであるが、書院造、数寄屋造などの意匠的な部分も一般民家に普及し、今でも多くの住宅で見ることができる。
室町時代に成立した格式を重視した書院造の特徴、江戸時代に成立した極力格式ばらないことに注力した数寄屋造の特徴がともに日本の伝統住宅様式の代表であることはいかに木造軸組工法が日本の気候風土に合致した連続性のある進化をとげた建築工法であるかの証明である。
しかし住宅といえば木造の一戸建て、もしくは連棟式の長屋が近代までの一般的な住宅だったものが大正時代に鉄筋コンクリート造他の大規模集合住宅が普及し始め現在では住宅のうち大きな割合を占める。
鉄筋コンクリート造はコンクリートと鉄というお互いを補完する材料同士を使い、耐震性、耐久性、耐火性に優れ都市部での大規模集合住宅に非常に適した構造であるため一気に普及したのも必然であると言える。
また工業化に適した構造であるため、高規格な鉄筋、高強度のコンクリート、コンピューターによる設計構造計算支援といった進化を続けながら現在も多く建築されている。
大規模集合住宅は鉄筋コンクリート造が一般的だが、一戸建住宅で最も一般的なものは現代でも基礎構造の進化、建築金物の進化、建築機械の進化をした木造軸組工法である。
ただ現在ツーバイフォー工法や木質パネル工法といった木造壁構造、プレファブリケーション化された鉄骨造等の増加により以前のように一戸建ての住宅がすべて木造軸組構造であるとは言えなくなっている。
また現在における木造軸組工法は構造的に木造軸組みであるというだけで高度に工業化されたためいわゆる伝統的木造軸組み工法とは別物である。
ここ約30年のプレカット構造材、瓦の乾式工法、乾式壁、プレカット建材の普及により熟練した大工、左官、瓦施工業者、タイル施工業者は激減し高齢化している。
大工が木に墨付けし、刻み、左官が壁を付け、瓦屋が土を置いて瓦を葺くといった伝統的木造軸組工法は住宅としては一般的な工法とは言えなくなっている。
伝統的木造軸組工法は今後一部寺社建築等により絶えることはなく存続していくと思われるが、高度に工業化され、均一かつ高品質な新木造軸組み工法に押され、職人不足も手伝い住宅工法としてのその歴史は実質途絶しようとしている。
ただ住宅工法として本来の意味での伝統的木造軸組工法はある意味その役目を終えても、あまりに長く歴史を重ね、日本独自の文化として日本人の中に住宅のあるべき姿として定着したゆえに、畳、真壁、床の間、といった伝統和風の意匠的な面での姿は途絶することなく、これからも連続して日本の住宅の姿として存続していくものであろう。

社会学的に見た日本住宅の連続と切断

一つの住宅に居住する親族の集団が家族である。
ゆえに日本の住宅における社会学的連続と切断は家族構成及び家族観の変化に当然大きく影響される。
日本における家族構成の変化の歴史としては、江戸時代に農村部において、独立した小農による、大規模な合同家族を中心とした家族形態から比較的小規模な直系家族を中心とした家族形態への転換が起こった。
小農が独立し、結婚して世帯を形成し住宅を持つこととなったのである。
そして現代において伝統的家族と考えられている直系家族が生まれ、その生活に適した住宅が誕生することとなり、伝統的住宅も生まれることとなる。
この江戸時代に誕生した直系家族を中心とした家族形態は家長中心の家族観を持ち、住宅としては、床の間を備えた座敷を南面に配し、これを中心とした現代に通じる伝統的和風住宅を生むのである。
明治維新後に直系家族を中心とした家族形態の持つ家長中心の家族観はまず都市部において変化することとなる。
直系家族を中心とした家族形態は変わらないものの、従来の家長中心の家族観から個人一人一人の生活を重んじた家族観への変化するのである。
その住宅もまた、それまで床の間を備えた座敷を南面に配し、これを中心とした住宅だけでなく、居間を中心に配し個人の部屋を備えた住宅が普及することとなるのである。
次に戦後において家族形態は、直系家族を中心としたものから核家族と転換した。
戦後日本の家族をイメージさせる言葉は夫婦と子どもだけで構成される「核家族」であろう。また勤めに出る夫と専業主婦の妻、そして子ども2人からなる「標準世帯」という言葉も戦後の家族を表す言葉である。
家族形態が、直系家族を中心としたものから核家族へと転換したことにより住宅もまたLDK中心、個別の子供部屋といった個人中心的な特徴を強くしていくものとなった。
現代における主たる家族形態は核家族であり、個人中心的な家族観の生活スタイル向いた住宅が現代的な住宅と言えるであろう。
ただ、伝統的家族と言える直系家族、床の間を備えた座敷を中心とした伝統的和風住宅は途絶したわけではなく現代においても少なからず連続して存在している。
長く歴史を重ね、伝統的、という言葉により日本人の心の中で理想化され定着してしまっているとも言えるかもしれないが、これからも日本の伝統的家族、伝統的住宅の姿として存続していくであろう。

社会学的に見た日本住宅の連続と切断

現在主流をなす日本の住宅は、「居間を中心に配し個人の部屋を備えた住宅」、と言える。
ただ「居間」、「個人の部屋」、それらを関連付ける「廊下」は戦後から現在に至るまでに大きく変遷してきた。それは日本人の求めるよりよい生活のできる住宅が変化してきたからであると言える。
戦後しばらくの日本人の求める夕食とその後の理想的なすごし方は、家族が全員帰宅した後、台所で作った料理を廊下を通って「居間」である「茶の間」に運び食事を行い、片づけたのちテレビを見ながら家族団欒の時をすごし、若しくはダイニングキッチンで料理と食事を行い、廊下を通って「茶の間」でテレビを見ながら家族団欒の時をすごし、夜遅くなると、入浴した後、廊下を通って「個人の部屋」で就寝するというものであった。「茶の間」は和室でありその中心には冬は炬燵、それ以外の季節は布団を外した炬燵がありその前にはブラウン管テレビがあるというものである。
現在から考えると「居間」と「台所」がなぜ離れているのか考えさせられるがそれには意味がある。
座敷を南面に配し中心とした住宅から、居間を南面に配し中心とした住宅へと移行したため、座敷の位置に、居間は移ったものの、台所はそのままの位置に取り残された形となったのである。急激な変化を嫌ったためともいえるが問題が生じた。「居間」と「台所」そして「個人の部屋」が明確に分離されすぎたために家族の擦れ違いが生じやすく、家族そのものが分断化されやすくなってしまったのである。
その問題に対応しようとしているのが現在の日本人の求めるよりよい生活のできる住宅であると言える。
現実問題として理想的な家族全員で食事をとったりテレビを見ながら家族団欒を行うことは非常に難しくなってきている。ただすこしでも家族の分断化を防ごうという方向で住宅は変化してきているのである。
まず「居間」と「食堂、台所」は「リビングダイニングキッチン」となった。食事をする時間がバラバラであっても「誰かがくつろいでいる居間」と「誰かが食事をしている食堂、台所」が一体となった「リビングダイニングキッチン」ならば最低限家族の擦れ違いと分断化は防げる。また「炬燵」に入りテレビを見る家族団欒は無理でも、「ソファー」でテレビを見たりその横でタブレットPCで電子書籍を読んだりという家族それぞれが休息をとる方法ならば少なくとも時間と空間は共有できるためこれも最低限家族の擦れ違いと分断化は防げる。
いつの時代もその時代の問題に応じて住宅は変化をしてきたし、これからもその時代の問題に対応する形で変化していくのでありそういった意味では住宅は常に連続して変化しておりそこに途絶や切断はないと言える。